宮下文書を巡る旅〜明見湖〜北東本宮小室浅間神社〜不二阿曽山大神宮

どうもこんにちはイッシーです。

日本という国は、世界最古の国、最も歴史の長い国だとされています。

そして、その歴史を知るための手がかりになる「古文書」と呼ばれるものが存在します。

一番有名なのは「古事記」や「日本書紀」ですね。

この古文書は全国各地に存在しますが、中には「偽書」として扱われてしまい

世の中に出回らなかった古文書も存在します。

私の住んでいる山梨県にも「偽書」として

世に出回らなかった「古文書」が存在します。

それが「宮下文書」と呼ばれる古文書です。

今回は、「宮下文書」を巡る旅というものをしてきました。

この「宮下文書」とは何かと言いますと

宮下文書(みやしたもんじょ)とは、富士山の北麓、山梨県富士吉田市大明見(旧南都留郡明見村)の北東本宮小室浅間神社(旧称阿曽谷宮守神社)宮下家に伝来する古記録・古文書の総称。「富士古文書」「富士古文献」などとも称される。神武天皇が現れるはるか以前の超古代、富士山麓に勃興したとされる「富士高天原王朝」に関する伝承を含み、その中核部分は中国・秦から渡来した徐福が筆録したと伝えられている。だが、その信憑性については疑いがもたれており、いわゆる古史古伝の代表例に挙げられる。文体は漢語と万葉仮名を併用した記紀風のもので、筆者・成立事情は不明[1]。助詞の用例や発音など言語的特徴から幕末期の成立であるとも考えられている[2]。大正時代には宮下文書をもとに三輪義熈『神皇記』が成立した

Wikipediaより引用

簡単にいうと、神武天皇が誕生する前、富士山麓に「富士王朝」つまり都が存在し

「徐福」という人物によってその時の事柄が記録され、その古文書が

宮下家(現代の北東本宮小室浅間神社)で見つかったので

「宮下文書」と言われています。

まず、私たちは「明見湖」へ行ってまいりました。

明見湖

この湖は、山梨県富士吉田市大明見にある湖です。

この湖には、ものすごいパワーがあると、スピリチュアル業界の方も

証言しているパワースポットでもあります。

ちなみに過去にGrapeHPでも「明見湖」についての記事を書きました。

この湖もすごいのですが、この湖から少し離れた場所に

重要な場所があります。

それが「徐福雨乞地蔵祠」です。

徐福雨乞地蔵祠

この「明見湖」付近に、徐福を祀る像があります。

徐福は、先ほど説明した通り、宮下文書を書いた人です。

ちなみにこの場所は、中国の映画の撮影地にもなったそうです。

そして、また少し歩くと

太神社」という神社があります。

太神社

「太」神社

この太神社には「徐福の墓」とされているお墓が存在します。

諸説ありますが、この山梨県にも

徐福との関わりのある場所が存在します。

明見湖

徐福雨乞地蔵祠

太神社

次は、宮下文書が見つかった「北東本宮小室浅間神社」です。

北東本宮小室浅間神社

由緒

大明見に鎮座する小室浅間神社は崇神天皇6年(前92)に阿曽谷神社を鎮祭したのが創建です。後、富士山噴火を鎮めるため応神天皇第二皇子が宮守を司り、阿曽谷宮守神社と改称されます。御本殿は桃山時代の建造。貞享3年(1686)には、古屋敷より引移るのに際し、神宮皇后の弓と応神天皇の神を祀った寒川神社の元宮ともされる福地八幡大神社を合祀し、阿曽谷宮守神社と相殿でお祀りされています。

http://www.fujisan-jinja.com/yamanashi/hokutou_hongu_omuro_sengen/index.php

御祭神

木花開耶姫命、
誉田別命国狭槌命
泥土煮命
上筒男命、他十三柱

そして「北東本宮小室浅間神社・旧社」です。

北東本宮小室浅間神社・旧社

由緒

大明見の小室浅間神社の東1kmほどに旧社、古宮は位置しています。貞享3年(1686)に新屋敷に引移るまでは当地、古屋敷に鎮座していました。小室浅間神社に伝えられる富士古文書(宮下文書)で語られる阿祖山大神宮は当地周辺とされ、縄文時代早期に遡る古屋敷遺跡もすぐ近くで発掘されています

http://www.fujisan-jinja.com/yamanashi/hokutou_hongu_omuro_sengen_kyusha/index.php

残念ながら「北東本宮小室浅間神社・旧社」の写真を撮るのを忘れてしまいましたが

この場所には、もう一つ重要な場所があります。

それが「泰山府君大神」です。

泰山府君大神

五芒星が描かれております。

いったい何を示しているのでしょうか。

北東本宮小室浅間神社

北東本宮小室浅間神社・旧社

そして最後に「不二阿祖山大神宮」です。

不二阿祖山大神宮

「北東本宮小室浅間神社・旧社」の由緒に書かれていた「不二阿曽山大神宮」ですが

この場所こそ、「宮下文書」に書かれていた富士王朝があった場所の「中心」に値する神社がここ「不二阿曽山大神宮」と言われています。

現在、「地球再生のために動いている神社」です。

由緒

始原神であり唯一神、宇宙の創造神たる「富士太神(不二太神)」を祀る日本最古の神宮である。不二高天原の御世は、凡そ三百万年前から二百万年前、此の地で国常立天皇により興され、富士太神(不二太神)を皇祖皇大神宮 別祖太神宮に祀り、祭政一致の神都として繁栄していく。皇統二十二代天疎日向津比売天皇(天照大神)が天変地異からの立て直しをされ、不二高天原から豊葦原瑞穂国と称し、社は不二山の鬼門(艮)に阿祖山太神宮と改称し建立される。
皇統二十四代天仁仁杵身光天津日嗣天日天皇(仁仁杵尊)が不二山に天降り、九州の高千穂へ天下りし、政治と軍事を阿蘇へと遷す。
皇統二十六代武鵜草葦天皇即位より、不二合朝(不合一代)の 御世が始まる。
皇統九十二代(不合七十三代)より、阿祖山太神宮神皇が橿原神宮に参じ即位式を斎行する。
人皇一代神武天皇により神倭朝が開かれる。
崇神天皇(人皇十代 皇紀五六四年~)、阿祖山太神宮より三種の神器御宝を笠縫の里(檜原神社)に遷す。
垂仁天皇(人皇十一代 皇紀六三二年~)、倭姫により檜原神社から三種の神器御宝が二十三箇所遷宮し、伊勢におさまる。
持統天皇(人皇四十一代 皇紀一三四七年~)の勅願文に「阿祖山神宮事 元宮先現太神」と記され、富士太神(不二太神)は元宮先現大神として祀られる。
奈良時代から江戸時代にかけて、富士太神(不二太神)の御名は、先現太神、仙元大神、浅間大神へと変遷していく。
延暦一九年からの大噴火により阿祖山太神宮は甚大な被害を受け、多くを焼失。江戸時代に入り衰退。後は、大元不二山元宮阿祖山大神社へと改称。
明治以降、幾度となく、再建運動が興されたが叶わず、平成十六年より崇敬奉賛会による再建事業が開始され今に至る。

http://fujiasoyama.com/yuisyo.html

御祭神

元主一太御神

御親元主国万造主・国常立太御神

天照大神

このモザイクがかかっている人間は、私です。。
恥ずかしいのでモザイクをかけました。。

この神社の鳥居は、普段私たちが見る鳥居とは大きく違います。

この鳥居の名前は「三柱鳥居」と呼ばれる鳥居です。

そして、この場所は宇宙の神様が宿る神社です。

また、富士山から見て北東に位置します。

この「北東」というのはいわゆる鬼門とされ

富士山を守るために建設された神社とも言われています。

たまたま私が訪れたときに、大宮司さんがいらっしゃって

この神社の歴史や再建の意義などを教えていただきました。

また、この三柱鳥居の真ん中に立つと

ものすごいエネルギーを感じることができます。

今回、紹介した神社は「宮下文書」という古文書を巡って

3カ所を訪れました。

私たちはまだ、宮下文書について

まだまだ訪れなければならない場所がいくつか存在します。

あくまで、旅の始まりに過ぎません。

宮下文書には、どのようなことが書かれていたのか、

なぜ、宮下文書は偽書として扱われたのか、

さらに「徐福」という人物は一体どのような人物なのか。

私たちは疑問が残りました。

皆さんも、山梨県を訪れた際

または山梨県にお住まいの方も

このような旅を巡ってみてはいかがでしょうか?

本日もGrapeHPをご覧いただきありがとうございました。

イッシー

※今回紹介した歴史などは諸説あります。

ちなみに、「不二阿祖山大神宮」ですが、様々な方々が訪れています。

それも、世界中です。